知っていること=学ぶ必要はないこと?
いやーやらかしました。清水です。
今、「カップうどん」を「カップ焼きそばのソース」を使って作るという商品が売っているんですよ。私は普段休みの日なんかはカップ麺をちょいちょい食べているので、作り方なんかちゃんと見ないで作るんですよ。
お湯入れて、5分待ってソース入れてふりかけ入れてで。
でもこれ、ソースが明らかに麺に絡まないし、うまいんか?これ?と思ったらちゃんと湯切り口がついていて、お湯は捨てないといけないものだったんですね。容器の形がカップうどんのそれだったので、湯切り口は付いていないと思い込んでしまっていたわけです。その時にはもう後の祭りで、お湯を捨てたらほぼほぼ味の付いていない麺が残りました。
薄っすらとは味が付いていましたが、ちゃんと作ったら美味しかったんだろうなという味でした。こんなしょうもない話ですが、そこにも学ぶ点は大いにあると思います。(唐突な切り返し)
失敗する時って、ちゃんと説明を見聞きしていなかったり、間違えて覚えていたり、思い込みであったりだと思います。
知っていることでも、それは間違えて覚えていたり、ちゃんと知らないで使っていたりということは多々あります。カップ麺の話からパソコンの話に無理やりつなげますが、パソコンだってそうです。(というかこれは何に於いてでもそうだと思いますが。)
「自分は知っている(分かっている)から必要ない」ということは早々ありません。出来るようになる人は大抵基礎を大事にして、知っている部分でも「念のため学ぼう」という方が多いです。「必要ない、使わない」と思っていると身につくものも身に付きませんしね。知識を独立したものではなく、ほかの知識と関連付けられるものと考えた方が学ぶ意味も見えてくると思います。「使わない」ではなく、「どう使うか」と考えた方がポジティブですしね。
と、そんな感じで今起きたことをネタにしつつ説教をかまそうとした清水でした。