自責思考という考え方
どうすればよかったのか。清水です。
人に任せたことは自分には関係ない。任せた相手が失敗したのならば相手が悪い。という考え方は他責思考です。なんでもかんでも自分のせいにするのは精神衛生上もよくありませんのでお勧めはしませんが、それでも全部自分のせいではないというのもおすすめはしません。自分の責任を考えるのが自責志向です。人に任せたことであっても任せた自分にも落ち度はあるわけですし、任せた後であっても気に掛ける必要はあると思います。「この仕事は君に任せたじゃないか!」というのはあまりにも無責任ではないかと思います。
他人のやっていることを、この仕事は自分には関係ないと思ってしまったら何も得るものはありません。自分だったらどうするか、その人はどうやって解決したか?その人はなぜうまくいかなかったかを自分の考えと照らし合わせてみれば何かしらの気づきはあると思います。もちろん、自分に任された仕事で手一杯だったらそこまで考える余裕はないと思いますけどね。「賢い人は歴史(や他人の行動)から学び、そうじゃない人は経験から学ぶ」と言われています。人の失敗を聞いて「自分は絶対そんな失敗しない」と思っていたらいつかやらかします。私も自分が経験して「あ、そういえばこんな前例あったな」なんてこともありますので偉そうには語れませんけどね。同じ失敗を何度かすることもあります。残念ながら。
コミュニケーションに於いても、うまく伝わらなかった時に「私は言ったのに相手が理解しなかった」のであれば、どうすれば伝わったかを考え、メモとして残す等別の手段を考えた方がいいです。逆に相手の言ったことをうまく理解できなかった時にちゃんと理解できるまで聞いて、最後に要約して「○○ということですか?」と、こちらからも確認を取る方がいいです。コミュニケーションがうまくいかないのは双方にとって少なからず原因があることが多いと思います。
以前にもここで書いたかもしれませんが、精神的な反省はあまり必要ではないと思います。「自分はダメな人間だ」「また駄目だったからまた今度も失敗する」なんて考える必要は一切ありません。大事なのは「どうすればよかったのか」「次に成功させるにはどうすればいいか」を考えることです。失敗した場合に前提として「失敗しにくいシステム」を作ることが大事だと思います。人間が使う以上失敗することは完全には防げないのですから、失敗する可能性を減らすことが大事です。前から使っているからという理由で、改善しないのは完全に思考停止です。
うまくいかなかった時に環境や周りのせいにするのは簡単です。ただ、それでは一切成長はありません。その環境を変えるにはどうすればいいか、その環境の中でどうすればいいかを考えることが大事だと思います。もちろん、なんでも根性で気合でとかって精神論を語るつもりはありませんし、キャパシティー的に無理なものは無理だと思いますけどね。最低限必要なものがそろっていることが前提での話です。
私が勉強に集中できないのはスマホのせい、ゲームのせい。それなら極論使えない状態にするか外で勉強しろって話ですね。わかっちゃいるけどやめられない。それもまた人間だもの。